PCMAXに登録した男性が「出会い」に向けて、まず最初にしなければならないのは、「充実したプロフィールの記述」ということになるでしょう。
「自己紹介」で始まり「自己紹介」で終わるといっても過言ではないのが「出会い系」ですが、出会い系の利用を続ける限り、「自己紹介」はさまざまなやり方で絶えまなく更新しつづけなければなりません。
ですから、より正確には、永遠に終わらない「自己紹介」を異性に向けて果てしなく続けるのが「出会い系」である、と言ったほうがいいのかもしれません。
そんな「出会い系」において、異性にアプローチを仕掛ける時間のなかでつねに要求される「自己紹介」をするにあたって、その第一歩である「プロフィール」が非常に重要なものとして機能することはもはや言うまでもありません。
「自己紹介」によってたえず自分を魅力的な男性としてアピールしなければならず、なんとかして異性に興味を抱いてもらわなければ「出会い」が成立しない出会い系のシビアな環境においては、「充実したプロフィールが用意されているかどうか」によって「出会い」の成否が左右されてしまう傾向があります。
プロフィールの設計図はユーザーごとに構築するもの
PCMAXを利用して異性との出会いを成立させているユーザーのほとんどは、「プロフィールを充実させて異性に興味を持たれる自己紹介をする」ということの重要性を理解した地点から出会い系の利用をスタートしており、利用の初期段階からすでに「出会い」を見据えて動き出しています。
「充実したプロフィールを記述する」というのは「出会い」のための「設計」であり、「土台」をしっかりと固める行為です。
PCMAXにおいては、異性への交渉は、掲示板やメールによるやり取りが中心になっていくのですし、それらのやりとりをいかにして行うかによって「出会い」が決定的なものになっていきます。
ですが、掲示板やメールでのやりとりが開始される場面においても、「充実したプロフィールを記述する」という、初期段階の「設計」のプロセスを通して「自分という存在を、相手となる異性にどのように紹介していくか」ということをじっくり考えて出会いのための「土台」をしっかり練り上げたユーザー、「充実したプロフィールの記述」の延長線上で動き始めるユーザーのほうがはるかに有利であると言わざるをえません。
では、マニュアルに則って、攻略法に即してプロフィールを記述していけば「出会い」は確実にあるのか、というと、そうもいかない、というのが「出会い系」の難しいところでもあるわけです。
というのも、「女性の価値基準」が人それぞれである以上、「これをしておけばまず間違いない」というような「プロフィール」における「鉄板」のようなものは存在しないのですし、型にはめて誰でも使えるような「共通の攻略法」を築くことができない、というのが、「プロフィール」の不安定な性格でもあるからです。
「この人、いいな」と感じる価値基準は女性によってそれぞれに違いますから、出会い系の「プロフィール」においては、「これが理想である」という「例文」、「決定版」のようなものを指し示すことが、(少なくとも私には)できません。もちろんそれができる人もいるでしょう。
「プロフィール」の「設計」をして「プロフィールを充実させる」のは、出会い系の利用においては「必須」ではあるのですが、その「設計図」については、出会い系を利用する男性ユーザーのひとりひとりが自ら見つけ出し、考え抜いて構築していかなければならないものなのです。
のぞましいとされているプロフィールは本当に「のぞましい」のか
たとえば、以下のようなプロフィールの「例文」は、「出会い系」のプロフィール記述における「攻略法」のなかでは(「一応の」という留保をつけまくる必要がありますが)「のぞましいもの」のうちの一つとされています。
“こんにちは!
○○県の○○に住んでるTです!
しがない公務員をやっております。
趣味は映画とグルメ。週末は映画館で映画を見て、行ったことがないお店を訪ねて、まだ味わったことがない新たなグルメを求める、っていう過ごし方が多いですかね。
映画鑑賞やグルメ探索を一人でやっていると、なんだか段々と寂しくなってくるのです笑。ですから、一緒に映画やグルメの趣味が楽しめる女の子がいたらいいなーと思って、PCMAXを利用することにしました。
「彼女ほしいな」というのが本音ですが、一緒にご飯を食べたり映画の話ができる女友達と出会えるだけでもかなり嬉しいです。特にスイーツは詳しいですよー。オススメのお店もいろいろ紹介できるんじゃないかな?と思います。
趣味が合いそうな方、気軽なメールお待ちしております!”
私としては、正直なところ「つまらない男」という感想しか出てこない退屈なプロフィールです。おそらく、出会いの交渉をしかけることも、相手からのアプローチに応えることもないでしょう。
さらに個人的な感想を続けて漏らすとすれば、「映画との対峙は個人的かつ孤独な体験でもあるわけで、誰かと安易に趣味が共有されるということなどはまずありえない。それに、漠然と映画が趣味だなどといってる男性の映画の趣味、この文章から類推される知性から推察される映画の趣味などは、所詮たかが知れているだろう」などと考えて身構えてもしまいそうです。
もっと言うならば「女は食べること、とりわけ、スイーツが好き」みたいなステレオタイプの押し付けがチラチラとこちらを伺ってくる感じも、自分で書いた架空の人物に腹を立てているのはまったく馬鹿らしいのですが、非常に小癪で不快です。
この男性としても、私のような言いがかりをつけてくるような女性と出会うなんてのは、まっぴらごめんの「願い下げ」といったところでしょう。いわゆる「ミスマッチ」というやつです。
もちろん、これは、あくまで「私」という歪んだフィルターを通した場合から導き出される「第一印象」でしかありません。しかし、私のような「歪んだフィルター」があまりにも極端だとしても、このような個々人ごとに違う「フィルター」ごしにプロフィールを読まれてしまう、ということは、出会い系の利用においてはどうしても避けることができません。
こういう「人畜無害」といいますか、毒にも薬にもならないようなつまらないプロフィールを書くような男性を、私と違って、「いいな」と感じることができる「フィルター」の持ち主の女性が、出会い系に少なからずいる、ということも確かです。
むしろ、私のような「フィルター」の持ち主より、そのような女性の方が多いとさえ断言してもいいかもしれません。
実際に、このような「のぞましい」とされているプロフィール、女性をあまり圧迫しない薄く引き伸ばされたようなパラフィン紙のような「攻略法」じみたプロフィールでもって、女性と出会いまくっている男性ユーザーが多数存在しているというのも、一方では、事実としてはあるわけです。
「女性に嫌われないようなプロフィールを書く」という「攻略法」は、ある側面においてはやはり「正しい」のですし、「のぞましい」態度でさえあるわけで、このような「毒にも薬にもならないようなプロフィール」を見て「いいな」と感じるような女性を「意識的に狙う」という「戦略」としてこのようなプロフィールを記述する、という方法は、なかなか効果的であり有効でもある、ということはできるかもしれません。
しかし、最大公約数的に「正解」とされている「のぞましい」もの、「空気」のようなものが、誰かにとっては「心底どうでもいいもの」や「嫌悪をもよおすようなもの」にさえなるということや、それが「絶対的な正しさ」などではない、というような前提は忘れられがちです。
悪い例とされるプロフィールも万人にとって「悪い」ということはない
さて、上記のプロフィールの「単語」を多少入れ替えながら、試験的に次のようなプロフィールを考えてみました。
以下のようなプロフィールは、おそらく、出会い系では「悪手」とみなされる、あまり「のぞましくはない」プロフィールに分類されるでしょう。
“こんにちは!
○○県の○○に住んでるTです。
金融系のブラック企業で過労死寸前になって働いています。
趣味はギャンブルと風俗。週末は競馬場で博打を楽しんでます。賭けに勝って黒字が出れば、行ったことがない風俗店で新しいオキニを探す、っていう過ごし方が多いですかねー。
仕事柄「金」のことは詳しいです。投資にも手を出してますね。宵越しの銭は持たないがポリシーの遊び人です。
とはいえ、ギャンブルや風俗遊びばかりしていると段々とココロが寂しくなってきますので笑、ギャンブルや風俗への興味をひとときでも忘れさせてくれるような素敵な女の子に出会えるといいな、と思ってPCMAXを利用することにしました。
風俗遊びばかりしている性獣の私に「素敵な彼女がほしいな」などという資格があるのかどうかはわかりませんが、おこがましくも「彼女がほしい」と考えております。
打算的ではない、お金では買えない、本当の「愛」が知りたいんです!
もしよかったらメールしてください!”
みずからわざわざ「出会い」から遠ざかろうとしているのではないか、と思ってしまうような、一見すると「かなり悪い」プロフィールです。
文体だけは丁寧で、先程の「映画」と「グルメ」の男性とほぼ同じことを言っているのですが、「ギャンブル」や「風俗」という女性にとってのマイナス要素が組み込まれており、なおかつ「セックスがしたい」という気持ちが滲み出まくっている、それに加えて、「金遣いが荒い」ことや「身体が悪そう」であることを隠そうともしないこの文章を読んで、「この人いいな、素敵だな」と感じる女性はあまりいないことでしょう。
「映画とグルメ」の男性と、「ギャンブルと風俗」の男性を比較したら、当然ながら、前者の男性のような「のぞましい」とされているプロフィールを書いているほうがまだマシなのではないか、と、思わず考えてしまうことにもなるのではないかと思われます。
しかし、このようなプロフィールを読んで「いいな」と感じる女性の数は、まったくの「ゼロ」ではないでしょう。
本当は性欲にまみれているのに、それを隠しながら、人畜無害で、女性のご機嫌をうかがってばかりいるプロフィールが溢れかえるなかで、このように、率直に「風俗通いが趣味です」などとサラっと書いているプロフィールを見て、「この人は、嘘がなくていいな」と感じる女性が少なからず存在する、という可能性を否定することはできません。
ある種の女性の「好奇心」を刺激する、というパターンも考えられます。
私の知人に、「性風俗」などに強い興味関心を持っている女性がいます。その女性は「私の知らない領域の話だから、何を聞いても面白い。もっと詳しく聞きたい」といって、私に会うたびに、「性」にまつわる様々な話をせがんでくるような知人です。
もし、この私の女友達のような女性が出会い系に登録していた場合、この「ギャンブル」や「風俗」をこよなく愛する男性の「プロフィール」は、「悪手」としてではなく、「非常に興味深いもの」として受け取られる可能性のほうが高いでしょう。
プロフィールの記述に攻略法があるとすれば
出会い系における「プロフィール」について考えているときに、ふと思い出されるのは、モンティ・パイソンの『プルースト要約選手権』というスケッチにおける一場面です。
プルースト要約選手権に参加した一人目の参加者であるグレアム・チャップマンは、チャレンジ失敗のあとに、司会者であるエリック・アイドルから「参加した理由」や「趣味」などを尋ねられます。
ここで、グレアム・チャップマンは自分の「趣味」として「ゴルフと動物の絞殺とオナニー」という過激な答えを返し、司会者のエリック・アイドルに会場からつまみだされるようにして追い出されるのですが、その追い出された理由は、「(その地域においては)ゴルフが嫌われているから」なのです。「動物の絞殺」と「オナニー」は、「ゴルフ」に比べると好意的に受け取られているわけですね。
出会い系における男性のプロフィールと、それを読んで、何かしらの印象を抱く女性の関係も、このスケッチで起こっているような事態とほぼ同じであるように私には思われます。
極端な話に聞こえるかもしれませんが、PCMAXのような出会い系においても、「ゴルフ」が生理的に駄目な女性もいれば、「動物の絞殺」や「オナニー」がむしろOKな稀有な女性もいるわけです。
この価値基準の「多様性」や「とらえどころのなさ」こそが、おそらくPCMAXのような出会い系における「プロフィール」の最大の特徴なのであり、難しさでもあるのです。
この「多様性」のなかでいかに「単独者」として振る舞えるか、という部分に「賭ける」ようにして、「安全牌」でしかない「のぞましいとされるプロフィール」をむしろ積極的に避けながら独自の「プロフィール」を構築するのも、出会い系の醍醐味といえるかもしれません。
ちなみに、私は「ゴルフと動物の絞殺とオナニー」が「趣味」である、といったグレアム・チャップマンがもし出会い系に登録しており、アポをしかけられた場合、まず間違いなく、彼からの出会い交渉に快く応じるのではないかと思います。
その理由は、というと「グレアム・チャップマンのアルコール中毒の眼の悲しく潤んだ光に強く惹かれる」からです。
「顔の印象から伝わってくるもの」が決定打となっていますから、出会い系でいいますと「プロフィールの写メによる判断」になりますね。「イケメンかどうか」というより(グレアムはかなりのイケメンですけれど)、「眼差しの強い印象が決め手となって出会いを受け入れた」ということになるでしょう。
「プロフィールの写メ」においても、「プロフィールの文章」と同じように、「女性にどう受け取られるのか。女性が何をいいと感じるのか」という明確な基準はありません。せいぜい、「最低限の清潔さは保たなければいけない」があるくらいでしょうか。
ですからプロフィールに掲載される「写メ」においても、およそ「正解」ではないような「写メ」が、思いもよらないような趣味嗜好を持った女性の心を打つということが大いにありうるわけです。
「グレアム・チャップマンのアルコール中毒の眼の悲しく潤んだ光に強く惹かれる」というような「私」がいるように、「私」にとっては重要に思える些細な要素に全く惹かれない「誰か」がいる。そして、その逆もある。
このように、「人が他人のどこに惹かれるのか」ということは、まったくマニュアル化ができない領域にあるわけです。そのような領域においては、プロフィールにおける「攻略法」とされているものも、およそ「攻略法」として機能するということはないでしょう。
仮に出会い系のプロフィールにおいて「攻略法」があるとするならば、それは「マニュアルに則ったプロフィールを記述する」のではなくて、むしろ、それを積極的に拒否して、「『私』というものを真剣に伝えるためのプロフィールを記述する」という、極私的な姿勢だけが挙げられるのかもしれません。
そして、攻略法的ではない、「極私的なプロフィール」のなかにある、誰にも受け入れられないと思っていたような「私」の部分に、ふいに反応してくれるような「他者」が登場する可能性と、そんな「他者」との出会いの可能性がある、そのような「懐の広さ」が、PCMAXという出会い系にはあるのではないか、と私は考えております。