ハッピーメールを利用する「目的」は人によって違いますが、おおまかにわけると「セフレ探し」、「友達探し」、「恋人探し」、「婚活」の「四つの目的」に大別されるのではないかと思います。ここに、行動原理が違う「金稼ぎ」という別ジャンルの「目的」を入れれば、ハッピーメールを利用するユーザーをほぼすべて紹介したことになるでしょう。
セフレ、友達、恋人、結婚という「四つの目的」は、それぞれに目指す対象が違うとはいえ、利用する「理由」としては、「なんとなく寂しい」というような「心の隙間を埋める」という共通項を持っているように思います。
「四つの目的」と、「金稼ぎ」という目的の間に線を引き、大きく二つのものとして峻別しなければならないのは、「金稼ぎ」のユーザーは「寂しい」だとか「心の隙間を埋めたい」などという「理由」で出会い系を使っていないからに他なりません。
前者の「四つの目的」でハッピーメールを利用するユーザーは「心の隙間を埋める」ためにハッピーメールに登録しているのですが、「金稼ぎ」目的のユーザーは「心の隙間を埋めたいと考えている人たちの弱さを利用して金銭を回収する」ためにハッピーメールに登録しているので、「水と油」どころの関係ではなく、「捕食者と被食者」の関係にあるといえるでしょう。
「出会い系を使ったがうまくいかなかった」という体験などは、目的が一致しない男女がやりとりを開始したことが原因で起こるものですが、いわずもがな、出会い系において最も数多い「悪評」を引き起こす「不一致」は、前者の「四つの目的」で出会い系を利用していたユーザーが、「金稼ぎ」目的のユーザーとやりとりをしてしまった場合に起こります。
「四つの目的」と「金稼ぎ」の相性は基本的に悪いのですが、「四つの目的」のなかで、唯一、「セフレ探し」という性欲主体の利用者に限っては、「セックス」というものを通して「金稼ぎ」を目的としたユーザーとの利害が一致することがあり、相手が「金稼ぎ」を目的とした悪質な業者や援助希望の相手であったとしても、その相手を積極的に受け入れて「性」と「金」によって結び付けられる場合が見られます
「四つの目的」のユーザーと、「金稼ぎ」という目的のユーザーの間には決定的な断絶があるのですが、「セフレ探し」のユーザーだけは、このように、前者の「四つの目的」のユーザーのなかで、断絶を繋ぐような側面があります。「セフレ探し」のユーザーは、二つの大きな円が重なり合う地点をつくりだし、そのグレーゾーンに足を突っ込むことができる存在といえるかもしれません。
「心の隙間を埋める」ために「性行為」がしたい、「性行為」ができれば何でもいい、というタイプの出会い系ユーザーと、「心の隙間を埋める」ために「性行為」を提供する出会い系ユーザーのこの水面下での結託が、ハッピーメールのような出会い系を、「恋人」や「結婚相手」や「友達」を探している出会い系ユーザーにとっては使いにくい、ヤリ目的の男性、業者、援助希望女性だらけの環境にしているのは言うまでもありませんが、こればかりは、「出会い系の宿命」として諦めていくしかないでしょう。
四つの利用目的の間の齟齬
ところで、「出会い系を使ったがうまくいかなかった」というミスマッチは、なにも「金稼ぎ」という「根本的な『理由』が違う」という断絶があり、その「目的」もまるで違う、というような相手に対してのみ起こるわけではありません。
「業者」にまつわる「悪評」をのぞいても、出会い系におけるミスマッチというのは数多く報告されているのであって、そのミスマッチの報告は、おもに「恋人」「結婚相手」「友達」「セフレ」という「四つの目的」の間でそれぞれに発生する齟齬として受け取ることができます。
たとえば、「恋人探し」という目的でハッピーメールを使っていた女性が「セフレ探し」を目的にしている男性と出会った場合、その体験談は「ヤリたいだけの男の口車に乗せられてヤリ捨てられて傷つけられた」というような行き場のない悲しみに満ちた内容が導き出されることになるでしょう。
こういったミスマッチは、「恋人」対「セフレ」だけに起こることではなく、「婚活」対「セフレ」、「友達」対「セフレ」という関係においても似たようなものが多く見られるのですが、最後の「友達」対「セフレ」の場合、「なんとなくウマがあってセフレ関係」に、だとか、「セックスよりも会話の相性がよくて飲み友達に」というような、お互いの目的の境界線を超えていくような成功例も散見されます。
当初の「目的」が出会った相手によって変化させられることもあり、その「目的」の変化や「境界線の越境」の瞬間は利用者の予測を超えている、というイレギュラーも出会い系の特徴です。
上記したような「恋人」対「セフレ」という関係においても、セックスを通した結果、稀にお互いの境界線を超えることがあります。「恋人探しをしていたが、寂しさを埋めるにはセフレぐらいでよかったのかも」と気づいてしまったりだとか、「セックスできればいいと思っていたが、人として好きになってしまった」だとか、そういうパターンが考えられます。
「恋人」対「友達」といった関係性も、出会ったあとの交際内容によってお互いの境界線が曖昧になっていくことがありますが、例外として、「婚活」対「セフレ」という関係に関しては、お互いの境界線を超えていくことができないと考えてよいでしょう。
「結婚」という「目的」は、ハッピーメールのような出会い系においてはやや不利であるという印象があります。「恋人」「友達」「セフレ」といった目的群に比べると、「結婚」という目的に関しては、それぞれの目的の間に立ちはだかる境界線を超えにくい、という性格を持っているように思われます。
「目的」への意志が強ければ強いほど「境界線の越境」は難しくなります。「目的」の意志の強さは、利用する「目的」によっても変化します。たとえば「セフレ」に比べると、「結婚」という目的は、その目的を選択することそれ自体に「意志の強さ」を必要とします。
男女の関係性について、「築かれる関係の希薄さ」という基準で順列をつけていくならば、おそらく「セフレ→友達→恋人→結婚」という順番になるでしょう。手前にいくほど立場としては臨機応変ですが、出会いののちに獲得される「関係」は、短期的であったり弱いつながりになっていきます。両端の「セフレ」と「結婚」は、「心の隙間を埋める」という「理由」だけが同じで、その目指している方向性が真逆です。
「結婚」を目的にしているユーザーが、隣り合わせである「恋人」を目的にして使っているユーザーと出会った場合、組み合わせとしてはうまくいきそうにも思えるのですが、「結婚の話を持ち出したら相手に逃げられてしまった」というような体験談が数多く寄せられていることを考えると、どうも、そううまくはいかない、という現状があるようです。そこには「恋愛」と「結婚」という言葉の間に立ちはだかる最後の「意志」の強弱や違いが垣間見えるようでもあります。
一見すると似たような目的に感じられたとしても、その根底にある微妙な、しかし、決定的な「違い」によって、出会った相手とうまくいかないということが往々にしてよくあるのが出会い系の難しいところであり、ハッピーメールという出会い系に関しても、その根本的な難しさから逃れることはできません。
その「難しさ」を超えていく有効な手段は、「目的」という境界線の「越境」にあるのですが、目的を妥協して「越境」を選択するというのは、当初の「目的」を失って身も蓋もない行動をとる、というような手段でもあります。
「強い意志」でもって「目的」を選んでいるタイプは、出会い系を利用するときに決めた「目的」を忠実に守る必要もあるでしょう。妥協して「越境」し、「目的」とは違う相手と交流することによって、本来の利用理由であった「心の隙間」がより広がっていく、ということも大いにありえますし、なんといっても、出会い系の難しさを引き受けた上で「目的」が一致する相手を見つけてマッチングを成功させる喜びは、何物にも代えがたいものがあるのも事実です。
ハッピーメールの利用理由から見える目的の分岐
さて、ここで、少しばかり「目的」から離れて、出会い系を利用する「理由」の根本である「心の隙間」について眼を向けてみたいと思います。
出会い系の利用を通して「金稼ぎ」をしたいと考えているのでなければ、出会い系のユーザーというのは、基本的に「寂しさ」や「孤独」といった「心の隙間」を埋めるために出会い系を利用することを決めた、という共通項があることは、先程書いたとおりです。
「心の隙間」など自分にはない、そもそも「隙間」がないのだからそれを「埋める」必要も感じない、というような出会い系のユーザーもいるのかもしれません。
たとえば、「セフレ」を目的にして出会い系を利用しているユーザーは、単純に性欲解消のためだけに出会い系を利用しているのですから、そこには埋めるべき「心の隙間」がないようにも見えます。
実際、ムラムラとする睾丸から精液を放出すればスッキリ、という風に「生理現象」として性欲解消するタイプもいるとは思うのですが、そのような「生理現象」としての性欲解消であれば、極端な話、自慰で十分なのであり、「他者」はそれほど必要ではないはずです。
単純な性欲の解放としてであれ「他者」の肉体を必要とする、というのは、その性行為のなかに、一人で性欲を解放するときとは違う、何かしらの、「他者」によってのみもたらされる精神的な充足を求めているということにほかならないと私は考えています。
さきほど軽く提示した「セフレ→友達→恋人→結婚」という「目的」の順列は、「心の隙間」を埋めるために必要とされる「他者」の分配や、抱えている「心の隙間」が次第に強くなっていく順列として見ることもできるでしょう。
前述したように、「セフレ」という目的の出会い系ユーザーは、「セックス」ができれば十分、性行為をする相手がいて他者の肉体に触れる機会があればそれ以上は望まない、というような態度を基本としていますから、一見すると「性欲解放」的ですし、「心の隙間」はそれほど大きくはありません。この「心の隙間」の希薄さが、「金稼ぎ」目的のユーザーとの即物的やり取りをも可能にする秘訣でしょう。
「友達」という目的の出会い系ユーザーは、性行為を介さずとも「話し相手」となる異性の友人がいれば、自分の「心の隙間」が多少は満たされる、それで十分、というバランスのよい心の隙間を抱えたタイプであると考えられます。「セックス」が介在しないこと、「性欲解消」という要素がない分、「セフレ」目的のユーザーに比べて、「他者」を希求する側面が多少なり強くなっているのが特徴でしょう。
「友達」以上の関係になったときに発生するであろう面倒かつ長期的な関係などを懸念して、「恋人」を作るほどではないが「心の隙間」は埋めたい、というような、「友達」という安定した関係だけでは満足できなくなった広さの「心の隙間」を抱えたとき、出会い系ユーザーは「恋人」を探し始める段階に歩を進めるのではないかと思います。
「恋人」を探す出会い系ユーザーには、セフレ的な即物的性欲解消的セックスではない、強い精神的な繋がりを伴った肉体関係、より深い継続的な関係性によって、一人の力ではとても太刀打ちできないような「心の隙間」を埋めてくれるパートナーとの出会いが期待されています。
埋めようのない「心の隙間」の決壊を終生に渡って止めてくれるような「ダム」にも似た固定されたパートナーを求める、というような段階に進行するときに、出会い系ユーザーは「結婚」を目指しはじめることになるでしょう。「結婚」の先には、出産と育児という自分の死後を含む未来にまで向けた長期的な関係性の獲得によって、より長期的に「心の隙間」を埋めていこう、という展望も見えます。
出会い系の利用における「目的」の「意志の強さ」が、「セフレ」から「結婚」へと進行するにともなってどんどん強くなっていき、より堅牢で、越境しにくいものになっていく、ということは、この「心の隙間」という「理由」の強弱によって左右されているように私には思われます。
心に隙間がある限りハッピーメールの利用は終わらない
出会い系における「目的」の不一致によるミスマッチは、出会い系を利用するユーザーが、それぞれにどの程度の「心の隙間」を埋めたいと考えているか、という違いによって発生するものである、という考えが私にはあります。
一夜限りで別れる程度の他者との交流で一時的に満たされたようになる「心の隙間」もあれば、婚姻届を出さないと埋まったように感じられない「心の隙間」というものもあり、それは個々人それぞれによって違いがあるわけです。
私個人としては、「心の隙間」というものは、セックスしようが友愛に満ちた会話をしようが恋人を作ろうが結婚して子供を産み育てようが、どうやっても決して埋まらないものだ、と考えております。こんなことを言い出すと、もしかすると、私が「心の隙間」という問題から完全に逃れて乗り越えており、高所から意見を言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。私は、この種の「心の隙間」のようなものを、「決して埋まらないけれども否応なく抱えてしまうものである」という厄介なものとして考えています。
瞬間的にそれらの「心の隙間」が解消される瞬間はあるとしても、それが完全に消え去るということはなく、やがて、ひび割れた部分から地下水が滲み出すようにして、またそれが少しずつ広がっていく。あるいは、もはや漏れるはずがなかったダムの壁にヒビが入って全面的な「危機」の予感を静かに進行させていく。私は、人をハッピーメールのような出会い系利用に促すような「心の隙間」に、そのような性質を読み取っています。
もちろん、セックス、友人との会話、恋人との睦み合い、結婚生活というものを通して「心の隙間」が完全に永続的に埋められる、というタイプもいるのかもしれません。前述したような考えはあくまで「私個人」の考えでしかありません。おそらく、ほとんどの出会い系ユーザーは、それぞれの「心の隙間」の強弱に応じた「目的」の選択と、その「目的」の遂行によって、それらの「心の隙間」の問題が全面的に解消される、と信じているのでしょうし、むしろ、私はそれで良いとさえ思います。
「それで良い」というよりも、そのような信じがたい「希望」を「他者」との出会いの中に求め、あえて「信じ切ってみる」という地点からのみ、ハッピーメールのような出会い系の利用がついに始められるのではないか、と考えているようなフシが私にあるのも事実です。
一人きりでいるときはもちろんのこと、友人、恋人、伴侶といった相手と過ごしているときにも不意に襲いかかってくる「孤独」や「孤立」の感覚は恐ろしいものがあります。そのような、埋まらない「心の隙間」に襲われたとき、人は「魔が差す」としか言いようがない突飛な行動に出るか、そのまま押し潰されることになるでしょう。
ともすると、その「魔が差す」ような行動のうちの一つとして、「出会い系を利用する」ということが挙げられるのかもしれません。しかし、誰にも共有することができない「孤立」の感覚から逃れるために、一時的に「出会い系」を利用してみる、という程度の「魔」は、私にはまったく問題がないものに思われます。
空虚に広がりつづける「心の隙間」に押し潰されるままに、より大きな「魔」に飲み込まれて取り返しがつかない行動をとってしまうよりは、出会い系のようなサービスを利用してそれらを一時的に誤魔化すほうがいくらかマシだといえるでしょう。
ハッピーメールのような出会い系の利用において「目的」というものを設定するのは、自分が抱えている「魔」のようなものをしっかりと見据える、というような意味を持つのかもしれません。出会い系を利用する相手の「目的」を重視して尊重する、という態度は、相手が抱えている「魔」がどの程度のものであるかをしっかりと想像するということであるのでしょうし、お互いの「埋めがたい部分」を一時的に埋めあえる者として交渉をしかける、という行動に繋がりを持つものになるでしょう。