ワクワクメールのような出会い系を利用するにあたって、異性と出会うために必要とされる重要なものは一体なんでしょうか。
「外見」と答える人は、おそらく、かなり多いでしょう。ルックスがいい。清潔感がある。ファッションセンスが優れている。このような「外見」の諸要素は、もちろんないよりはあったほうがいいものであることは疑いようがありません。
実際、異性にアプローチをしかけていくにあたって、相手の「外見」というのは、出会いたいと思うかどうかの重要なポイントであると思います。
「交渉術」と答える人もいるでしょう。出会い系の限られた所有ポイントを有効に消費しながら、確実に異性との出会いを成立させていく巧みな「交渉術」は、ワクワクメールで異性と出会うための大きな武器であり、「メール」や「掲示板」のやり取りが中心となるワクワクメールのような出会い系においては、ときに「外見」以上の重要な要素として機能することになることでしょう。
「内面」の魅力というものは、「外見」の魅力にそれほど自信がないワクワクメールのユーザーにとって、きわめて重要な位置を占めるようです。「内面」の豊かさは、「交渉術」と直結し、手を取り合いながら、「外見強者」と自分のアドバンテージを埋めてくれるはずだ、という期待をワクワクメールのユーザーに与えるはずです。
優れた「外見」、巧みな「交渉術」、豊かな「内面」、それぞれに優劣をつけるのは難しく、どれ一つとして、ワクワクメールのような出会い系で異性と出会うためには欠かせない要素であるように思えてきます。
しかし、ワクワクメールにおいては、このような三つの強い魅力を、一つ、あるいは、兼ね備えて持っていたとしても、その土台を支える根本的な部分を捉え残っていた場合、優れた「外見」も巧みな「交渉術」も豊かな「内面」もうまく機能することはなく、これらの美徳を持て余すことになります。
その「土台を支える根本的な部分」こそが、ワクワクメールを利用する上で、きわめて重要な、必要なものに他なりません。
ワクワクメールにおいて、おそらく、もっとも重要かつ必要なのは「自分自身の欲望と目的の把握」です。この「欲望」と「目的」の把握がない場合、優れた「外見」、巧みな「交渉術」、豊かな「内面」も、有効な力を発揮することなく、間違った対象に向けて行使されて空回りするということになるでしょう。
ワクワクメールを利用する目的をつねに問いかける
出会い系の利用を決意する。そして、ワクワクメールに登録する。
このとき、新規ユーザーとして生まれつつあるあなたは、ワクワクメールに対して、一体何を求めているでしょうか。
このような「問い」は、ワクワクメールの利用中、つねに問いかけなければならない「問い」であると思います。そして、この「問い」に対しては、その瞬間ごとに「明確な答え」を返していく必要があるでしょう。
この「問い」に対して、もっともあやうい「答え」が「なんとなく」というものです。
「なんとなく」それ自体はもちろんのこと、「なんとなく寂しいから」「なんとなく恋人がほしいから」「なんとなくセックスがしたいから」というようなかたちで「なんとなく」が欲望の上につけられてしまうような状態も含め、「なんとなく」という「答え」が出る場合、ワクワクメールの利用を決意させた「欲望」や、その「目的」にまつわる「自己把握」がやや曖昧な状態にあると言わざるをえません。
「問い」に対して、「恋人がほしいから」「セックスがしたいから」「結婚を考えているから」「異性の友達がほしいから」というように、「なんとなく」の余地を残さず、即答できるような明快さが、ワクワクメールの利用においては望ましい状態であると思います。
とはいえ、一方で、たとえば、ある瞬間においては「恋人がほしいから」という「欲望」と「目的」がはっきりしたとしても、一度抱いてまったその「欲望」なり「目的」を、後生大事に守り続けて自分を縛りつける必要はもちろんまったくありません。
「恋人がほしい」という明確な欲望と目的を持っていた人のなかに、「今は、恋人を作るよりも、めちゃくちゃセックスがしたいので」という強い気持ちがもし芽生えたのであれば、その「欲望」に正直になって「目的」を大きく変更し、その「欲望」がしっかり満たされるような行動を選択し、出会いの方向性を軌道修正するというような柔軟性も、また、ワクワクメールの利用においては大いに求められるからです。
なんとなくを排除した先にワクワクの出会いが開かれる
「なんとなく」は、ワクワクメール内のカテゴリの選択、掲示板で目に飛び込んでくる異性の書き込みへの感受性、出会い交渉から実際の出会いまでの行動力全般を濁らせ、弱体化させます。
「欲望」の方向性を考えると交渉すべきではないような相手に出会い交渉を仕掛けてしまい、時間とポイントを浪費してしまう、というような失敗をおかしているとき、その利用者の精神には「なんとなく」の余地が多く含まれている可能性がかなり高いといえます。
自分はワクワクメールに何を求めているのか。自分はどのような「欲望」に突き動かされているのか。そして、どのような「目的」を抱いているのか。
これらの問いかけを絶えず問い続け、その場その場で答えを出しながら自己把握をしていくことは、ワクワクメールにおける「出会い」のためのフィルターを細かくし、解像度をあげていくことにつながっています。
ワクワクメールにおいて、個々人が所有している「外見」や「内面」や「交渉術」といったそれぞれの魅力は、この「解像度」の高さによって発揮する効果が大きく変化するものでもあります。
欲望と目的の解像度を高めることがワクワクメールで出会うためのコツ
欲望と目的の「自己把握」をし、出会いのための「解像度」を高めることによって、はじめて、「自分はどのような女性と出会いたいと考えているのか」ということが見えてきます。
「どのような女性と出会いたいと考えているのか」ということが明確でなく、曖昧な「なんとなく」の状態にとどまっておりますと、掲示板に溢れかえる女性の書き込みを前にしても、誰の書き込みに反応し、どの女性を選べばいいかもはっきりとは判断できません。
逆に、「欲望」と「目的」が明確であるならば、「このたぐいの女性との出会いはまったく求めていない」という取捨選択の「判断」が迅速に行えるため、大量にあふれかえる玉石混交の書き込みをさっと眺め回しただけで、自分にとって重要である砂粒のような異性の書き込みを、目ざとく、抜け目なく発見することができるでしょう。
解像度が低い状態ではすべて同じように見える雑多な異性の書き込みも、欲望と目的の把握によって解像度があがっている状態ですと、それぞれの微細な違いというものが見えて、立体的な質感とともに読めるようになります。
「なんとなく」という曖昧な状態でワクワクメールを利用するということは、そのスタート地点の段階からして、すでに、「欲望に忠実に目的意識をはっきりと持っているユーザー」に大きく差をつけられている状態であるといえます。そして、その差は、「なんとなく」の領域に留まる限り、決して埋まることはなく、広がり続けることになります。
欲望と目的がはっきりしているユーザーとなんとなくのユーザーの比較
ワクワクメールにはピュア掲示板とアダルト掲示板がありますが、「欲望」と「目的」がはっきりしていないユーザーは、その大別される二つの掲示板の境界線だとか特徴すらうまく認識できないのではないかと思います。
たとえば、「タダマンができるセフレがほしい」と明確に考えているユーザーは、自分の「セフレがほしい」という「欲望」と、「タダマンができるセフレ」という「目的」に対して限りなく真剣であり忠実であり、そこには一切の妥協がありません。
ですから、このようなワクワクメールのユーザーは、「セフレが作れる掲示板はどれか」「セフレを作るにはどうしたらいいのか」という地点から思考を開始し、徹底的に戦略を練ります。
ここで、曖昧な欲望と目的しか持たない「なんとなくセフレがほしい」の利用者ですと、「なんとなくセフレが作れるのはアダルト掲示板だろうな」などと考えてしまいがちです。しかし、ワクワクメールのアダルト掲示板は「悪徳な援デリ業者」の根城であり、それ以外は、金銭を対価にして肉体を差し出す割り切り女性と言われる素人売春婦しかいません。
「タダマンができるセフレ」を厳密に探し求めている目的意識が明確なユーザーの視界からは、アダルト掲示板全般がまず消滅し、その欲望の矛先をピュア掲示板へと向けます。彼らは、「タダマンができるセフレを作るにはピュア掲示板にいる素人女性に巧妙に交渉を仕掛け、セフレにするしかない」ということを、自らの欲望を起点にした思考から察して、導き出しているからです。
「なんとなく」の思考に支配された曖昧なユーザーが「違法の援デリ業者」が派遣してくる女性や素人売春婦に金銭を支払ってなんとなくのセックスをしている傍らで、「絶対にタダマンができるセフレを見つけてみせる」という強い欲望と目的意識でワクワクメールを利用しているユーザーは、素人女性とセフレになりタダマンをしてみせるのです。
この両者の差は、あまりにも大きいと言わざるをえません。というよりも、そもそも「戦っている土俵」が違うのだ、と言ったほうがいいのかもしれません。
異性なら誰でもいいという怠惰を避ける
たとえが「タダマンができるセフレ」になり、やや偏っているように感じられたかもしれませんが、この「欲望」と「目的」の「対象」は、そのユーザーの個々人の自己把握から導かれた「対象」であれば、どのようなものであってもいいと思います。
この括弧のなかの対象は、「異性なら誰でもいいし、なんでもいい」というような投げやりなものでさえなければ、「一緒にいて安心できる恋人」であっても、「ともに苦難を乗り越えていける結婚相手」でも「その場限りで飲み食いして軽薄なおしゃべりだけをして別れる飲み友達」でもなんでもいいのです。
「一緒にいて安心できる恋人」を求めているのであれば、そのような「対象」をワクワクメールで探すならどうしたらいいか、ということを、「タダマンができるセフレ」について触れた時のように、真剣に考え抜くことが必要です。
そして、その思考から導き出された欲望に忠実な行動をとり、その目的に適した「対象」を掲示板の中からしっかり選別して、高い解像度にある状態で見つけ出すのです。
ワクワクメールにおける致命的な態度である「なんとなく」の思考から離れ、「異性ならなんでもいい」という雑な態度から逃れるためには、自分が抱えている「なんとなく」が、どの程度まで明確にできるかを考えていく必要があります。
なんとなくの利用から逃れるための思考からワクワクメールと関わる
たとえば、「なんとなく寂しくて」という状態でワクワクメールを使ったとしましょう。このとき、その「寂しさ」というものを埋めるために、そもそも「異性」が必要なのかどうか、というところまで踏み込んで考えていく必要があると思います。
「なんとなくの寂しさ」は、「恋人」を作ることで解消されることなのか。「性行為」で埋まるものなのか。「結婚」というものがあれば永続的に解決できるものなのか。あるいは、それ以外の何かで解決可能な「寂しさ」なのか。
このような「吟味」を行えば、ワクワクメールの上で自分が何をすべきか、あるいは、ワクワクメールを使って異性を探すべきかどうか、という根本的な問題までが、ある程度はクリアになってくるはずです。
「なんとなくの寂しさ」の正体を探り、その「寂しさ」の対抗策として「異性」が有効であるかどうか、という地点まで考えた末に、「なんとなく感じていた寂しさは、近所の野良猫とコミュニケーションをすれば解決するような『寂しさ』でしかなくて、別にワクワクメールで異性を探す必要はないのだな」ということに気付いたならば、真剣に向き合った「寂しさ」の「欲望」の矛先をワクワクメールに向けるのではなく、しっかりと、近所の野良猫に向け、寂しさを適切に慰めたほうがよいでしょう。
このとき、問い詰めた末に「いや、やはり、異性だ。とくに、異性とのセックスなしには(異性との交際なしには)(異性との軽い食事がなければ)(結婚がなければ)、この寂しさを埋めることは絶対にできないのだ」という確信が芽生え、「欲望」の輪郭がはっきりしたのであれば、そのときは、ワクワクメールにアクセスし、すでに「なんとなく」ではなくなった明確な「寂しさ」を埋める対象としての「異性」を探し始める最高のタイミングであると思います。